[初ジョアンに思う]

コンサートの感想。
「何だか凄かった」
ただその一言です。

彼の場合、良いとか悪いとかそういった評価は何も意味をなさないでしょう。
それ程、ジョアンが醸し出す世界は独特で圧倒的でした。

・・・

公演中は、まるで半身浴をしているかのようでした。
寒くもなく熱くもなく。温かく心地よい。
しかし、気が付くと身体の内側からジワリジワリと熱くなってくる。
そんな感じ。

じゃあリラックス出来たのかというと、そうでもありませんでした。
気持ちよく聞いていたはずなのに、気が付くと固唾を飲んで聞いているのです。

fascinateという言葉には「うっとりさせる」という意味がありますが、元々は、ヘビがカエル等をすくませるという意味から来ていると言います。もしかすると私は、うっとりしているようで実はジョアンにのまれていたのかもしれません。



e0011761_12391180.jpg


ジョアンを評するコメントを読むと「神様」とか「魔法」とか「奇跡」と言った言葉がしばしば出てきます。故に私はこれまでジョアンの事をそういう目で見ていました。しかし...ステージにいたのはギターを持った一人の老人でした。
その老人が、その身一つで優しく弦を爪弾き囁くように歌う。
ただそれだけでした。

彼が奏でる音、発する声は全てが必然。
それ以上でも、それ以下でもありません。
ただそれだけなのに...ジョアンは4〜5000人を収容する会場内の空気を一変させてしまいました。私は思いました。これは魔法でも奇跡でもない。説得力だ、と。

演出は時として、純粋さが持つ輝きを奪うことがある。
音楽も食べ物も一緒。
ジョアンの音楽が持つ力とは、そういう事なのではないのかなぁ。

でも...全く手を加えて無いかと言えばそうでもないんですよね。
何だか矛盾しているようですが、これがまた自然なんです。
そこが、深みや余裕を感じさせる所以なのかな?

・・・

かつて魯山人は「100点の(美味しすぎる)料理は食べ手が辛くなる。あえて90点くらいで作りなさい」と言ったそうです(違っていたらすいません)。この言葉は「受け手の思いが加わって始めて完成に至る。押しつけず、あえて相手が楽しめる場を残しておくこと」そう言っているのだと思いますが、ジョアンの音楽を聞いて、ふとこの言葉を思い出しました。

ジョアンの音楽は確かに凄い。けれども、聴衆が入り込む余地があるのです。
だから、聞き手は彼の音楽を心から楽しめるのではないでしょうか。

長きに渡り多くの人に愛されてきたのは、多分そういうことなんだと思います。

(うむむ。自分でも何言っているのか分からなくなってきたぞ。ま、いいか)

・・・

これらのことは、CDだけでは決して分かりませんでした。
オーディオのボリュームを調整した時点で必然性は失われ、その演奏はジョアンのものでは無くなっていたのでしょう、きっと。もちろん、他にも色々と理由はあるでしょうが。
今回の体験で、彼がこれ程までに支持されている意味が分かったような気がします。あくまでも気がするだけですけれど。

・・・

再度自らに問い直す。
ジョアンの凄さって一体何だろう。
限りなく無為自然なところ?
(まぁ、ジョアンからすれば多少なりの作為はあるのかもしれませんが)
ジョアン=ジョアンであり続けているところ?

あれこれ考えが湧いてきますが、言葉を紡ぐ先から解けてしまいます。
うん、結論は出ませんね、これは。
まぁ、ジョアンが歩いた後に、ボサノヴァと言う道が出来た。
ただそれだけなんでしょう。

あー、こんなことなら初めから「神様」「魔法」「奇跡」という言葉を使っておけば良かったな(笑)

・・・

もしも誰かに「今回の公演はどうだった?」と聞かれたら、とりあえず私はこう答えることにします。
「奇跡は起きなかったけれど、新たなる軌跡は残してくれたよ」と。
[PR]
by taka-sare | 2006-11-13 00:58 | 音楽・芸能・芸術 | Comments(0)
<< [うめ〜醤油] [二度あることは三度ある] >>