[ただつぐ]

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昨年末、おらが町の日本酒が誕生した。その名は「忠次」。我が町の名の由来となった殿様「伊奈忠次」の名前である。(その人物については下記参照されたし)。

使用米は伊奈町産の米「彩のかがやき」。これを80%程使っているとのこと。醸す蔵は...ラベルでピンときた方もいるかと思いますが、そう、伊奈町のお隣の蓮田市にある、お酒好きなら知らない人はいない?神亀酒造です。

最初に出したのは「しぼりたて生酒(四合瓶300本)」。こんなマニアックなのはそうそう売れないだろうと余裕をかましていたら、5日くらいで完売。結局、1本も手に入れる事が出来ませんでした。あれから数ヶ月経った秋上がりの頃(10月10日)。今度は「純米酒(四合瓶700本」が販売となりました。やっぱり町民としては一度は飲んでおかねばね。ということで、販売初日に数本入手した次第です。

・・・

忠次と米は切っても切れない深い関係。当然、伊奈町における稲作も、忠次あってのものといっても言い過ぎではないはず。ゆえに、このお酒に「忠次」なる名を冠したのは、とても意味のある事だなぁと思います。加えて、神亀酒造に依頼したのも良かった。

興味をお持ちの方。伊奈町を訪れた際に、お土産にひとつ如何でしょうか?
もっとも、もう完売しているかもしれませんが。。。
(次のシーズンは1300本販売するそうです)


*伊奈忠次とは誰ぞや?*

・父は本能寺の変の際、家康を地元三河まで道案内をして無事逃がした
・息子(三河出身)は徳川家康と共に関東に
・家康と年が近いこともあって(7歳年下)可愛がられた
・以後、関東を任され徳川家康の片腕として活躍
・主に、荒川や利根川の改修をはじめとする治水・灌漑事業、新田開発、検地の実施

等々。

特に活躍したのは治水・灌漑事業(三河は治水・灌漑技術を得意としていた)。

当時、江戸は「水害」に困っていた。それは、大河川が複雑に入り組み、かつ、土地が低かった為、大雨が来る度、水害で多くの被害を受けていたから。そこで、治水の達人である「忠次」に白羽の矢が。すると忠次、抜本的解決法を進言します。

「じゃー、もう川を無くしちゃいましょ」。

で、忠次。プロジェクトを遂行する為、今の埼玉県は伊奈町に移り住むことになります。その後「繋がっていた江戸川と利根川を分離」「利根川と鬼怒川を合流」「暴れ河川の荒川をゆったり広い河川に」といったプロジェクトを遂行しました。この事業は息子にまで受け継がれ、60年後に見事完成。これにより、江戸は水害は激減。そして、水運が発展することになったとさ。

ま、ザックリ言うとこんな感じ。
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by taka-sare | 2013-10-14 00:00 | 飲む・食べる・呑む | Comments(0)
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